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学びと楽しみ


竹迫観音祭(市指定文化財)

最終更新日 [2011年10月20日]  

竹迫観音祭り
 毎年7月10日の夕方から、竹迫町内で行なわれます。
 祭り当日、赤い幔幕(まんまく)を張り、行灯(あんどん)をともした木製のドランジャーと呼ばれる台車に太鼓をのせ、若衆が太鼓を叩きながら町内を曳きまわします。ドランジャーの横には笛方がつき、優雅な音色を響かせます。
 ドランジャーは3町から出ますが、中町の三叉路でぶつかりながら合流する様は勇壮で、3台は連なって馬頭観音が安置される竹迫観音堂へ向かいます。観音堂までの往路は「槍巻(やりま)き」の音色で竹迫の町内をのぼり、観音堂を数回巡って奉納したあとは、「道楽(みちがく)」の曲で各町へ戻っていきます。
 農業・産業振興や交通安全を祈願する祭として年々一層の賑わいを見せています。
 この祭の起源は、地元に伝わる江戸時代の文書によると、鎌倉時代(約800年前)に当地の地頭職であった中原師員(なかはらもろかず)が、源頼朝の許可を得て「頼朝の万歳のため天神地祇を祭り、国土安全を祈念し、いまだ政情不安な西国の人々の気持ちを和らげるために」始めた「風流盆踊り」が起源とされています。
 また一説には加藤清正の治世、朝鮮半島出兵の際に、よその馬が疫病で倒れる中、竹迫の馬は病気にもならず活躍したことから清正公より大変なお褒めに預かり、そのお礼に当時の庄屋達が馬頭観音に奉納したのが始まりともいいます。
 現在、踊りなどは伝わっていないため、「風流盆踊り」がそのまま引き継がれたとするには無理なところもありますが、中世までの華やかな祭礼の多くが時の領主の庇護のもと行なわれてきたことを考えると、竹迫氏のあとを受け継いだ合志氏が戦国時代末に滅亡したことで、当時行なわれていた祭りが中止、または縮小したところに、江戸期に町衆が新たに祭りを再興し現在の形ができたのではないかと考えられます。 

 
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