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平成26年4月4日(金曜日)、ヴィーブルくんが散りゆく桜を眺めました

最終更新日:
 

ヴィーブルくんがユーパレス弁天にお出かけ。

1枚目ユーパレス弁天にお出かけ

平成26年4月4日(金曜日)ヴィーブルくんは、合志市総合健康センター「ユーパレス弁天」にお出かけしました。

ヴィーブルくんがこの日、弁天に来たのには理由があったのですが、それはまた後日・・・。

 

※ユーパレス弁天の詳細については、こちらをご覧ください。

 

散りゆく桜の花を眺めました。

弁天内には桜の花が咲いていましたが、もう散り始めていました。

散りゆく桜を惜しみながら、来年をまた楽しみにヴィーブルくんは桜を眺めました。

2枚目ヴィーブルくんは桜を眺めました
3枚目ヴィーブルくんは桜を眺めました
 

来館者とのふれあい

人気者のヴィーブルくん、子どもたちと記念撮影しました。
4枚目子どもたちと記念撮影
5枚目子どもたちと記念撮影
 

桜に関するヴィーブルくんメモ

6枚目桜に関するヴィーブルくんメモ

日本では平安時代の国風文化の影響以降、桜は花の代名詞のようになり、春の花の中でも特別な位置を占めるようになりました。桜の花の下の宴会の花見は風物詩です。各地に桜の名所があり、有名な一本桜も数多く存在します。

日本の年度は4月始まりであることや、学校に多くの場合サクラが植えられていることから、人生の転機を彩る花にもなっています。

 

 桜は穀物の神が宿るとも、稲作神事に関連していたともされ、農業にとっては昔から非常に大切なものであったそうです。また、桜の開花は、農業開始の指標とされた場合もあり、各地に「田植え桜」や「種まき桜」とよばれる木があるそうです。

 古代から桜を詠んだ歌は多数あります。 

 

紀友則

7枚目紀友則

ひさかたの光のどけき春の日に

しづ心なく花ぞ散るらむ

 

紀友則(33番) 『古今集』春下・84

 

(訳)こんなに日の光がのどかに射している春の日に、なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。

 

 年度替わりの慌ただしい時期は桜を楽しむ余裕もなく、ふと気が付けば散った桜を見ていることもあります。

 平成26年は、梅も桜も散り行くさまを眺めることになってしまったヴィーブルくんでした。皆さんは梅や桜は楽しめたでしょうか。

 
 

在原業平

8枚目在原業平

世の中に 絶えて桜の なかりせば

春の心は のどけからまし

 

在原業平 『古今和歌集』

 

(訳)この世の中に、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに

 

春の季節には、散り行く桜があるために人々の心が穏やかでないこともありますが、人の心を騒がせる素晴らしさが桜にはあるのでしょう。桜の花を楽しむ余裕がなかった人も少なくないのではないでょうか。

 

 

 

小野小町

9枚目小野小町

花の色は移りにけりないたづらに 

わが身世にふるながめせしまに

 

小野小町(9番) 『古今集』春・113

 

(訳)桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。

 

  去年咲いた桜が今年も咲き、また来年も咲いて目を楽しませてくれることでしょう。桜の花が咲くたびに、自分自身1歳年をとっていきます。

 去年桜が咲いていたころと、桜が咲いている現在と、何か成長できたかなぁ、とふと、前年度振り返りと検証をしたヴィーブルくんでした。

 
 

 

西行法師

10枚目西行法師

 桜では開花のみならず、散って行く儚さや潔さも、愛玩の対象となっています。古くから桜は、諸行無常にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿は儚い人生を投影する対象になりました。

 

 

願はくは花の下にて春死なん

そのきさらぎの望月のころ

 

西行法師(続古今集 雑上・山家集上・西行)

 

(訳)私の願いは、桜の花の下で、春に死にたいということだ。それも、あの釈迦入滅の日である2月の満月のころに。

 

生涯、月と花とを愛した西行は、その願いどおり、文治6(1190)年2月16日にこの世を去ったそうです。

 

 

伝 良寛和尚

11枚目伝 良寛和尚

散る桜 残る桜も 散る桜

 

どんなに華やかな桜も、散らない桜はありません。

 

そのことを心得たうえで、一度だけの人生を毎日精一杯楽しく大いに努力し、もがきながらも生きていこうではないかと、考えたような考えなかったようなヴィーブルくんでした。

 
 

梶井基次郎

12枚目梶井基次郎
 「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」で始まる梶井基次郎の名作を思い出します。独特の感性が繊細で丁寧な文章で包まれる梶井基次郎の作品にちょっとだけ触れてみたヴィーブルくんでした。 きれいな桜を眺めるだけで、なぜいろんなことを考えてしまうのでしょう。あちらこちらに咲き誇る桜を見て、みんなは何を思うのだろう、と考えたヴィーブルくんでした。ヴィーブルくんはおうちに帰ったら、桜もちを食べようと思いました。
 
 
 
5月のゴールデンウィークはどこにお出かけしようか、今から楽しみなヴィーブルくんでした。
 みなさん、またお会いしましょう! 
 
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