市内で唯一の装飾石棺です。昭和22(1947)年、桑の伐根作業中に30cm
地下より出土したもので、現地より東方の納骨堂内に移設されました。昭和42
(1967)年に再調査が行われ、棺内の床に粘土が貼られ、赤い顔料が塗ってあ
りました。さらに、少女と思われる人骨と津麻櫛(つまぐし)が1本副葬され
ていたことなどから地元では、「ヒメツカ」と呼ばれています。古墳時代中期
(5世紀頃)の阿蘇凝灰岩からなる家形の石棺で、棺のふたは一枚岩を屋根の
形にくり抜いており、棺身は板材6枚を組み合わせて作られています。屋根全
体に並列三角文を線刻で施しています。