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合志三十三ヶ所観音

最終更新日:
中林観音堂
  仏教の中でも、お地蔵様と並び抜群の人気と知名度を誇る観音様は、正式名称を「観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)」あるいは「観自在(かんじざい)菩薩(ぼさつ)」といい、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)の主宰する極楽浄土へ衆生(しゅじょう)を導く「慈悲の仏」として厚く信仰されています。

この観世音とは「世の人々の救いを求める苦悩の声(音)を聞くと、直ちに救済する」という意味だそうです。観音は「法華経」の観音菩薩普門品(かんのんぼさつふもんほん)観音経(かんのんきょう))で説かれ、勢至(せいし)菩薩(ぼさつ)とともに阿弥陀如来の(きょう)()(※1)されています。観音は衆生を救済に顕れる時、多くの姿をとるといわれます。そうした信仰から生まれたのがいわゆる六観音で、(しょう)観音(かんのん)千手観音(せんじゅかんのん)十一面(じゅういちめん)観音(かんのん)如意(にょい)(りん)観音(かんのん)馬頭(ばとう)観音(かんのん)准胝(じゅんでい)観音(かんのん)です。                                                                           

日本においては、奈良時代から現世利益を求めて信仰され、平安時代には清水寺(京都府)や長谷寺(奈良県)への参籠(さんろう)(※2)流行し、やがて、前述の観世音菩薩が衆生を救うとき様々な姿に変化するという信仰から、三十三の霊場(れいじょう)を巡拝すると、その功徳を得ることができるのと考えが広まり、近畿周辺の観音霊場を回る西国三十三巡礼が12世紀に始まりました。次第に全国にも広まり、坂東三十三巡礼(神奈川県の足柄山や箱根の坂の東側一帯)は13世紀に、秩父三十三巡礼(埼玉県秩父地方)は15世紀に始まっています。

 

熊本では、人吉・球磨地方の相良三十三観音巡りが有名ですが、実は、阿蘇三十三観音や菊池三十三観音など、それぞれの地域にも観音霊場があります。旧合志郡(明治二十二年に菊池郡に吸収合併。現在の合志市と菊池市・菊陽町・大津町の一部)の中を巡礼して廻る合志三十三観音も、そういった地域の観音霊場の一つでした。ただし、これら地域の三十三観音を、何時、誰が始めたのかなどわかってはいません。

私達の合志市には、この合志三十三観音のうち十観音があります。以前は、熱心に信仰する人たちがいたようですし、現在も巡礼が人知れず行なわれています。

ところで、三十三観音巡りでは、しばしば各観音様のことを歌った御詠歌(ごえいか)が詠われます。御詠歌とは仏様の功徳や仏法を称えた和歌ですが、合志三十三観音でも、それぞれに御詠歌があり、地名や観音堂の名称、観音様のお姿などが、上手に歌詞の中に詠いこまれています。巡られ、お参りされる際には、この御詠歌にも是非注目されてみてください。

 

※1(きょう)()=仏の左右に侍して教化を助けるもの

 

※2参籠(さんろう)=仏寺に昼夜籠もって祈願すること:おこもり

 位置図はこちら→ 位置図(エクセル:1.93メガバイト) 別ウインドウで開きます


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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