江戸時代の僧放牛により建立された「放牛地蔵」と呼ばれるお地蔵さまが、市内の県道熊本菊鹿線沿いに3体あります。これらのお地蔵さまは、放牛が幼い頃自身のせいで父親を死なせたことからの供養と自身の修行のために建立したと言われています。お地蔵さまは、現在熊本市を中心に107体が確認されていますが、実際の総数はまだ判明していません。享保7(1722)年熊本市田迎町に最初の一体目が建てられました。お地蔵さまには、建てられた順に番号が刻まれており、自身の名前や自作の歌も刻まれています。40体目を越えるころから、道の分かれ目に建立され、道しるべとなることが多くなりました。
須屋の山ノ上の道路交差点に建てられた四九体目のお地蔵さんにも「これよりみぎわいふ(菊地市隈府)ひだりきの(菊鹿町木野)と刻まれています。
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放牛地蔵(49体目)上須屋郵便局そば |
放牛地蔵(65体目) 野々島交差点 |
放牛地蔵(75体目)須屋 ふれあい館そば |
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放牛地蔵49体目 須屋 | 放牛地蔵65体目(野々島) | 放牛地蔵75体目(ふれあい館そば) |