紫君山清寿院跡(合志三十三観音二十六番札所)
合志小学校の西側に小堂と石造物が残っています。そのうちの1つ天文期の板碑には「当寺中興玉誉智▢大徳壽位」とあり、16世紀に再興したことが分かります。小学校の建設時、陣ノ内遺跡発掘調査が行われ、竹迫氏館跡から清寿院の敷地に変わったことが確認されました。
「肥後国誌」に「古石碑 清寿院境内二アリ銘二云、清寿院殿仙屋壽公大姉 合志蔵人母 天文四末天三月十五日ト記ス」とあることから合志氏の菩提寺であった可能性が考えられます。
金福寺跡
越前国(今の福井県)永平寺の末寺といわれ、明治6(1873)年、廃寺になったと伝えられるが、詳細は不明です。現在は地元で小堂を祀り、その堂裏に当時の僧侶の墓碑がみられます。