この阿弥陀如来像は、韓国から渡来した仏教美術に詳しい九州大学名誉教授の菊竹淳一氏の鑑定によると、中国の影響を受けた高麗(こうらい)時代(915~1392)後期に造られた渡来仏とのことです。
銅製で中は空洞になっており、また、肥満気味のものが多いこの時代としては珍しく細身で背筋が伸びているといわれています。
もともとは福井の永平寺の末寺と伝わる日頭山金福寺にありましたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により明治6年に廃寺になったため、今町座組で管理するようになりました。
座組は4組あり、一年間の輪番制で、祭礼日には仏像を安置して、仏の慈悲に感謝して小宴が催されています。
複製を合志市歴史資料館に展示しています。