昭和初期に試掘され、昭和43年の開田事業の際に再調査された遺跡です。調査の結果、弥生時代のものと思われる5ヶ所の住居跡と、集落をとりまく壕が確認されました。
出土品には高坏(杯や皿に台脚のついた土器)、把手(とって)付コップ型土器や石包丁、石斧(石のオノ)などがあります。特に、4号住居跡から出土した直径5cmほどの青銅製の鏡「S字文鏡」は、この時代にはあまり持つことのできなかった貴重品で、集落の中の指導者的役割の人物が使っていたと考えられます。これらのことから、木瀬遺跡を含む周辺一帯の集落がある程度大規模なものであったことがうかがわれます。
また、木瀬遺跡は、中世城である竹迫城の惣構え(城やその一帯を囲む外堀)の北端部に位置するとみられます。現在、木瀬遺跡の弥生時代の遺構自体は見られませんが、説明看板周辺には、中世の堀や土塁が今も残存しています。
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現地の様子 | S字文鏡 |
所在地:合志市上庄1162~1164