上庄区にある、中世期の城跡です。
竹迫城は、鎌倉時代のはじめ、地頭職として派遣された中原師員(なかはらもろかず)が築いたといわれています。
その後、竹迫氏約320年、合志氏約80年の居城として、合志郡一帯の統治の拠点として栄えましたが、天正13(1585)年、薩摩の島津氏との戦いで落城しました。北側斜面一帯は、土塁や空堀が見られ、中世期の城の特徴をよく残しています。
また惣構(そうがま)えと呼ばれる外堀(長さ約5.9km)を含めると、城域は東西約2.3km、南北約1.4kmとなり、かなり大規模なものであったと思われます。
現在、この城跡は公園化され、お花見や草スキーを楽しむ方でにぎわう憩いの場となっています。