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竹迫城外堀の竹林伐採

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 竹迫城跡は、鎌倉時代のはじめ、地頭職として派遣された中原師員(なかはらもろかず)が築いたといわれています。その後、竹迫氏約320年、合志氏約80年の居城として、合志郡一帯の統治の拠点として栄えましたが、天正13(1585)年、薩摩の島津氏との戦いで落城しました。
今年の1~3月に竹迫城の外堀が残る上庄木瀬と豊岡西光寺で竹林の伐採作業を行いました。合志市歴史資料館に展示されている竹迫城絵図には、城を中心として城下の館、町、村、社寺、田畑などが描かれています。これらの城下を取り囲む外堀である惣構(そうがま)え跡(※)は、東西約1.7km、南北約1.3km、周囲約5.9kmに及び、現地に今も一部が残っています。惣構え跡は、戦国時代末(16世紀末)ごろで合志氏が築いたと考えられます。戦国時代の全周する惣構えとしては、九州で唯一の事例であり、貴重な遺跡です。
市ではこうした貴重な遺跡を守るため、竹林の伐採などの保護活動を行っています。



(※)惣構え跡…城を中心として城下を取り囲む堀や土塁などの防御施設。

   ●現在、発掘調査作業員を募集しています。

竹迫城
絵図
            竹迫城跡公園            竹迫城絵図



 

 
地図
木瀬竹林伐採作業後
惣構え(外堀)跡の範囲木瀬の外堀で竹林の伐採を行ないました(2024年1~3月)

 



 

 









 


 

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