市内には、石の板に線で彫りつけたもの(板碑)も含めて、現在74体の石のお地蔵さんが確認されています。江戸中期以降の建立がほとんどですが、明治期以降にも20数体が建立されています。
竹迫地区には六地蔵と呼ばれるお地蔵さんがあります。以前の合志郡の中心地であった竹迫町(現合志市竹迫)の下町・中町・上町・横町に1体ずつ残っています。六地蔵ですから、本来は六体あったと思われますが、現存するのはこの四体だけです。
上町の竹迫観音堂の敷地のお地蔵さんには、正面に「奉造立地蔵尊容、大願主護法山医音寺豪海法印大和尚位、施主竹迫町若輩衆」、右面に「享保十二丁未四月吉日」、裏面には「肥前国小城郡砥川住石工平川與四衛門」と刻まれています。
また、横町のお地蔵さんにも、同様の文章で「十二月吉祥日」と記されていることや、4体ともほぼ同じ大きさであることから、これらのお地蔵さんは当時竹迫にあった医音寺の豪海和尚の徳を慕い、享保十二年(1727)年ごろ竹迫町の有志によって計画され、肥前国小城郡砥川(現佐賀県小城市)の石工により掘られたものと考えられています。ただ、初めから4体しかなかったのか、あるいは6体そろっていたものが、明治初期の廃仏毀釈などで散逸したのか分かっていません。
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上町 | 横町 |
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下町1 | 下町2 |
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文化財位置図(エクセル:2.35メガバイト) 