永田支石墓は、二子山石器製作遺跡から北へ約200m離れた竹林の中にあります。
昭和44年、鹿本高校の考古学クラブが中心となり調査が行われ、地表面に置かれた2mの巨石
の下から遺体を埋葬する穴が発見されました。人骨等は残っていませんでしたが、この調査により
弥生時代の支石墓であることが確認されました。
支石墓とは弥生時代に朝鮮半島を経由し大陸より日本に伝わった墓の形態です。墓標である巨石の下
に穴を掘り、遺体を甕棺や石棺に入れたり、直接穴の中に埋葬することで死者を弔います。
このような埋葬形態は、福岡などの北部九州に多いのが特徴です。県内には10箇所近く存在しており、
その多くは合志川流域で見られます。
現地を訪れる際は、野々島市民センターと西合志中央小学校の中間あたりに案内看板が立っていますので
目印にしてください。
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▲永田支石墓 | ▲位置図 |